乗り継ぎのためにアムステルダム(オランダ)のスキボル空港に到着したのが午後三時。関空から約12時間のフライトでいささか疲労気味。乗り継ぎの待合室には、今回同行をするバンコク在住のH氏が所在なさげにメガネの掃除などをしながら待っている。彼は既に飛行機の都合で5時間前にアムスヘ到着して私の到着を待っていたことになる。お互い無事合流できて、勇気百倍いよいよこれからが本来の目的であるイタリアのワイン工場へのたびのはじまりとなる。


「ジューンブライド(六月の花嫁)」という言葉通り、六月のヨーロッパは一年のうちで一番気候であり、当日も雨上がりの快適な暑くも寒くもない最適の旅行日和だ。「日頃の行いが良いからネ」と一人こっそりつぶやいてみる。
予定よりも一時間遅れでやっとイタリア行きの飛行機に乗り込む。ヨーロッパ大陸をほぼ縦に、ドイツとスイスの上空を飛行してベニス空港へ向かうのだが窓から見るアルプス山脈の一年中雪をかぶった山々の眺めは日本では経験できない勇壮なものだ。


ベニス空港ではワイン会社の工場長であるコンティ氏・通訳としてソニヤ女史(大変な美人だ)の二人の出迎えを受けワイン工場の近くにあるホテルへ向かう。空港から殆ど見渡す限り畑ばかりの田舎道を約二時間かけて、やっと目的地であるフリユーリ県バルセリーナ群レオナルド町へ到着する。車の中で「ここからが当社の所有地(ブドウ園)です」とコンティ氏が言い、ゆっくり二十分走っても未だ終わらない。途中に同社の本社事務所と生産工場がポツンと小さく見える。土地全体で156ヘクタールあると言う。どの位の広さなのか見当がつかない。

ホテルは畑のど真ん中にある小さな田舎町のホテルであるが、1873年に営業開始とのことで(現在のオーナーは三代目、曾孫である)126年たったホテルでこれはまた凄い話だ。それでも旧さを感じさせない所がヨーロッパの良き伝統なのかなとも思う。驚いたことに、地下のワインセラーにはオーナー所有の千本を越えるストックが貯蔵されており古いもので1940年代のもの(既に50年経っている)もある。毎年その価値が上がっているのでこれだけは絶対に売らないと言っている。当然のことだ。


翌朝は今回の出張目的であるワイン会社を訪問する。同社ではブドウ園(ワイン)をやりながら、牛の育成も兼業でやっており、まずこちらの見学。200~300頭は居るのか臭い臭い。買ってきた200キロの食用牛を700キロに太らせて販売するという。一ヶ月に35キロ太るそうだから15ヶ月で売り物になる。


その後ぶどう園とワイン工場の見学。何本のブドウの木があるのか分からないが全ての木から木へコンピュータに感知するワイヤーが引かれており、葉の水分や、日照時間とか、所々にあるコンピュータボックス(ちょうど小鳥の巣箱のような感じで立ててある)にてデータをとり、発育をチェックしている。立派な設備にはちょっと驚きだ。工場地下にある発酵用の貯蔵タンクは約30基位あり立派な設備である。その割にはラボと呼ばれる実験室が貧弱に思えるが、他所の工場は知らないので、まあこんなもんかと納得をする。生産の途切れ目なのか、それにしても従業員の数が少ない。
引きつづきテイスティングルームにて試食と買い付けについての商売の話が始まる。いよいよホンチャンの仕事に入るので気を引き締めねばとすこし緊張する。部屋は立派な応接間兼ダイニングルーム仕立てで、木製の大きな机と椅子、机の上には大小取り混ぜ一人宛て12個のワイングラスが準備され先方の「売らんかな」の万全の体制で準備がしてある。商談のスタートは会社概要・ワインの各銘柄別に特徴が記載された技術仕様書・価格表がわたされ、いよいよ試飲となる。次から次へと栓が抜かれ十数種類ものテストをしていると段々酔いが回ってきて、いい加減になりがちだがもうひとふんばり。最終的に赤ワインを中心に、六銘柄の購入を決める。(ついでに見本程度に三種類のグラッパの注文もする)これで懸念の仕事も終了し、ひと安心しホッとした。外を見るといつの間にか豪雨である。

会社の好意でベニスの市内観光に案内するという。水の都ベニス・運河が市内を縦横に走り、映画等でよく見るゴンドラ・中世期の寺院・水と水をつなぐ小さな石の橋等を見学するのだが、日本人の団体観光客の多さにも驚かされる。向こうもこちらも至る所日本語だらけだ。翌日ベニスからミラノへ汽車で移動。ミラノ観光の時間もなく、かの有名なモンテ・ナポレオーネ通りのブティック街を散策するだけ(充分3時間は歩いた)これで三日間の短いイタリア出張はあっという間に終了した。次回はもう少しゆっくりこよっと。



(吉本博 不動産iNS 1999年8月号)

 

 

 

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