A partnership of Kingdoms : Celebrating 120years of Thai-Japanese Diplomatic Relations

日タイ修好120周年を記念し、タイ国政府観光庁の全面的な協力を得て "A partnership of Kingdoms : Celebrating 120 years of Thai-Japanese Diplomatic Relations"を開催しました。

開催日
2007年11月2日(金)~4日(日)
場所
バンコク都内サイアムパラゴン・ショッピングセンター
後援
タイ国政府観光庁、タイ国際航空、Centre Point、在タイ日本国大使館、京都市、京都商工会議所

 

バンコクに古拙の笑みを

2007年11月1~4日、サイアムパラゴンにて「レジェンド・オブ・舞妓」雅開催された。このイベントはプミポン国王生誕80周年と日タイ修好120周年を記念し、京都から富美英(ふみはな)、美代治(みよはる)、ふく雛(ふくひな)、とし芙美(としふみ)、君香(きみか)トップクラス5人の舞妓がバンコクで舞を披露するというもの。1日のオープニングでは、シリラット皇太子妃をはじめ、小林大使など日タイ多くの招待客が詰めかけた。日本独特の優雅な舞が文化の異なるタイでも受け入れられるのか、当初はそんな不安を感じていたが、それも開演と同時に杞憂に終わる。

まず最初に三味線の敏祐(としゆう)が舞台に姿を現すと、それまでざわついていた会場が徐々に静まりかえる。舞妓を陰で支える彼女には独特に雰囲気がある。それは着物の着こなし方ひとつ取っても顕著だ。決して着くずしているわけではないのに妙になじんでいる。観衆の注目を一身に浴びているのに一向に気にする様子もない。続いて舞妓達が舞台に登場すると皆一斉に息を呑むのが伝わってきた。舞妓の一挙手一投足に観衆に視線が注がれる中、微笑みながら深々と頭を垂れる。お辞儀から始まる日本の伝統芸能は美と礼に根付いているのだと物語っていた。


三味線の音色に少し物憂げな敏祐の長唄が続く、それに合わせて舞妓達が優雅に舞い始める。日本人招待客からは一瞬にして懐かしむような安心感が感じられたが、タイ人招待客からは微かに困惑が感じられた。テンポの緩やかな、まるでじらされているかのような舞。だがそのじらされている心が、既に魅せられているのだ。2曲目に入る頃にはタイ招待客も舞妓に真似てその手振りを真似たりしていた。

1曲目の「姫三社」はお祝い等に舞われるめでたい曲目、まさにこのイベントのオープニングを飾るにふさわしい題目だ。2曲目の「もみじの橋」はセットのもみじ橋をイメージして選ばれている。3曲目の「祇園小唄」は京都の四季を歌ったものだと説明してもらった。舞妓暦3年の君香さんはサイアムパラゴンの用意したパンフレットのイメージにも選ばれ、5人を代表してシリラット皇太子妃に記念品を手渡す大役を任せられていた。

舞台では日本を代表するプロの舞妓でも、その素顔は20歳の女の子。タイの印象として街中に(置物や飾りに使われている)象がいっぱいいる、もし機会があれば象に乗ってみたいと朗らかに笑う。また、取材の合間にも簡単なタイ語を通訳から学んでは活用していた。そんな彼女たちのお気に入りはタイの伝統足裏マッサージ。公演日にはタイ国政府観光庁の配慮で、楽屋裏にマッサージ師が待機し、休憩中の舞妓の疲れをほぐしていた。


このイベントの協賛社でもあり舞妓達の宿泊先でも会ったのがサービスアパートメントの老舗センターポイント。ラチャダムリにオープンしたグランデセンターポイントは他店舗とは一線を画し、ホテルとしても充分過ぎるほどのクオリティをもってグランデの名を冠しているが、この度舞妓を迎える事でそのオープニングに花を添えた。「こうやって直接舞妓と対面させてもらって、その美しさを実感しています。この日本の伝統美を紹介できたことを光栄に思っています」とマリカ・セールス&マーケティングダイレクター。その7階にあるRARINJINDA SPAには連日舞妓達が通ったと聞く。ここではタイの一流マッサージ師が舞妓達にタイ文化の一端を知らしめたにちがいない。


また、今回舞台となったサイアムパラゴンM階会場では日本庭園、錦鯉、盆栽、そして紅葉ときょうとのもみじ橋を見事に体現していた。設営に関してはクリアンサック社長自らがアイディアを提案。それもそのはず、クリアンサック社長は自他ともに認める日本通で1日のオープニングでは紋付袴を着てシリラット皇太子妃を向かえた。また、ポスターで使われていた錦鯉の品種は日本国内ではさほど有名ではない丹頂種だったが、それはその柄が日本国旗と同じだったからという配慮から。しかも日本一と呼声の高い広島阪井養魚場から持ってくるこだわりぶりだ。京都三大祭のひとつに数えられる「時代祭り」に出席した際、直接舞妓を見て、その美しさをタイに伝えたい、そんな義務感にも似た思いがこのイベントの成功をもたらした。

今回京都サイドで全ての業務を担当した吉本博コーディネーターは今回の公演の成功に確かな手ごたえを感じたようだ。「出来ればこれを機に毎年京都・バンコク間で何かしらの交流を示す行事を行いたい。今回の舞妓がその架け橋になれば、こんなに嬉しいことはない。もし出来るならば次はバンコクサイドから何らかのイベントを京都で開催していただきたい。こちらは万全の手続きでお待ちしておりますので」と語る。


1日のオープニングイベントや入院中のプミポン国王を御見舞いした記事がタイの新聞の一面を飾ったため、イベントは連日大盛況。4日間に訪れた来客数は約6千人にのぼる。土日の公演では一目舞妓を見ようと詰めかけた家族連れ等で立錐の余地もないほど。京都の舞妓をきっかけに日本とタイの多岐に渡る国際交流がひろげられた。権威ある王室の協力、主催者側の意図、後援各社の強い働きかけ、タイ人の思いやり、舞妓の微笑み。一般公演の後、詰めかけた観客の記念撮影にも舞妓達は快く応じていた。その笑みは京都で見たあの日の笑みと同じものだった。(BANGKOK CITY FINDER)

その他新聞記事

  • タイで思わぬ京都ブーム 舞妓作戦が奏功(産経ニュース 2008.1.2)
  • タイに舞い降りた京都の美――舞妓が海外初演舞(バンコク週報)